特別寄稿

アマ本因坊40年
アマ本因坊 原田 実

アマ本因坊
原田 実
平成15年は「みのる会」の若者たちが、大学囲碁界を越えて、全日本アマ囲碁界の第一線へと羽ばたいた飛躍の年であった。春の全日本女子学生選手権で優勝した宇根川万里江さんは、余勢を駆って、全日本女流アマ選手権で準優勝。朝日アマ十傑戦では阿佐巧君が全国大会で6位入賞の快挙をなし遂げ、アマ本因坊戦では瀧澤雄太君がなみいる強豪を連破してベスト8まで勝ち進んだ。このような若者たちの躍進が私の喜びの気持ちを高揚し、それが今回6年ぶり7回目のアマ本因坊になるという自分でも信じられないような幸運をもたらしたのだろうと思っている。

同じアマ本因坊でも若い頃の4回くらいは実力で勝った感じで自信もあったが、年を重ねるごとに幸運を感じるようになり、今回に至っては奇跡に近い。

初回の優勝は昭和36年、25才の時。当時は東京都予選からの参加であった。1年おいて27才、28才で2年連続優勝。朝日アマ十傑戦でも、28,29才で連続優勝しているので、この頃が私の棋力の最盛期であったと思われる。その後、32才で4回目のアマ本因坊になって以降約20年間、50才になるまで低調が続いた。

仕事が東京から横浜へ転勤になり、48才の時藤沢市に移住したのが転機となった。当時藤沢市役所勤務だった佐々木慶一さんにいろいろお世話になり、県代表クラス以上の碁会がはじまった。「棋遊会」と名付けて、県内外のアマ強豪が毎月藤沢に集い研鑛に励んだ。その後会員も出人りがあり、変遷があったが、会は現在に至るまで20年に亘って続いている。

県内外の強豪との対局で昔の勘を取り戻したのか、50才と52才の時、アマ十傑戦優勝、5回目のアマ本因坊になった。還暦を過ぎて、61才で6回目のアマ本因坊に、高野秀樹君との決勝黒半目勝ちは大きな幸運を感じた。(高野君は直後プロ入り)そして今回67才ではまさに奇跡。若い時には読みやヨセ・計算がしっかりしていて、見損じなどは殆どなかったが、今は勘違いや読み違いのミスが多く、全く運だけが頼りで勝っている感じである。比較の指標として、トッププロとの二子局の成績の変遷がある。(数字は優勝またはプロと対戦した時の年齢)



23才の時、坂田栄男先生との2子局が最初で、以後35才まではトッププロに10戦全勝。二子なら負けない自信が当時にはあった。ところが3一了才からはポカミスが出るようになって3連敗。最近は二子局の機会が少ないが、ミスの程度次第ということで、自信は全然ない。ミスも実力の中、一子は弱くなった感じである。27才アマ本因坊2回目の年からプロ・アマ本因坊戦が始まり、時の坂田栄寿本因坊に二子で6目勝ち、翌年また連勝したので、以降トッププロにアマ先番逆コミの対局が実現することになった。28才の時のその二子局は私の囲碁人生の中で最大の緊張感で臨んだ思い出の一局であった。毎日新聞の観戦記(故林裕氏)に「原田は技術の点はともかくとして、気合といい、土性骨といい、ネバリといい、すべて碁の精神的な面ではプロの一流の中に入れても遜色がない、と私ははっきり言い切れる」と書かれている。当時はそのような雰囲気があったのか。今はもう程遠い心境であるが、それでも幸運に恵まれて、十傑戦と合わせて11回目の全国優勝ができた。囲碁は誠に有り難い奥の深いゲームであるとしみじみ感じている。