特別寄稿

囲碁

作家   小島直記

作家
小島直記
昔『太陽』という綜合雑誌があった。それに、各種の芸能の特色を比較採点して、そのランキングを決めた記事があった。それによれば、囲碁の特色は、
1. 季節如何にかかわらずやれる。
2. 昼でも夜でもやれる。
3. 場所も広い必要がない。
4. 周囲に迷惑とならない。
5. 用具が簡単である。
6. 経費もかからぬ。
7. 習得が容易である。
8. 老若男女年齢に関係ない。
9. 千変万化。
10. 二人が単位だが、数人でも、一人でも楽しめる。
11. いったん上達したら、年をとっても能力が保持し得られる。
12. 棋譜によって記録が永遠に保存される。
13. 社交上の利益が多い。
14. 知能、思考カ、精神カの修養となる。
15. 品格の向上に資する。
等々、18の特色があり、1項目1点として18点、囲碁が第1位、謡曲は10点くらいだったという。津島寿一(元日本棋院総裁、名誉五段)は、中学1年生のときこれを読んでから碁を始めたという。これは一例にすぎぬが、各人各様、さまざまな動機、経緯によりて碁を打ちはじめたであろう。
特に輿味があることは、その腕前が必ずしも、当人の社会的地位、あるいは知能に比例していないということである。

瀬越憲作九段の回想によると、伊藤博文は、いきなり星目(9子)置いて、さあ一番!」と挑んできた(明治42年)。瀬越も若い時で、お世辞もなく、簡単に負かすと、『もう一番!」と挑んできた。これも負かしてしまった。伊藤公の碁は大変早い碁で、1局30分くらいですんだ。実に勝負には酒々落々」と瀬越は書いている(『手段』)。安田善次郎も囲碁に熱中した一人である。矢野龍渓は、「余は初めこれを交際の道具に利用しているのではないかと疑ったこともあったが、決して左様でなく、まったく自己の眞趣味からであることを知った」と書いている(r安田善次郎伝』)。安田は、謡曲、粟罵、茶の湯、書画、骨董など、多趣味であった。その中でも囲碁は最も好むところで、暇さえあれば師を迎え友を求め、つづいて2、30局を囲むくらいは平気であった。地方出張中でも暇さえあれば、誰彼を選ばず相手にする。その辺に知人がなければまず宿屋の主人を引っ張りだす。主人ができぬと、その辺の碁好きの老人を探し出してもらい、2日も3日もこれを相手にする。
明治17年(46歳)「拙碁会」を作った。その会則は、

 1. 拙碁会は、毎月24、5、6の3日間に於いてす。
 1. 会主は、会員順次にこれを定む。
 1. 会主は、自宅において開会す。もし差し支えあれば、他所を借るも随意なり。
 1. 開会は午後1時にして、閉会は午後10時を過ぐべからず。
 1. 会主は、会場を必ず5日前に会員に報告すべし。
 1. 事故ありて出席せざる者は、前日もしくは同朝、断り書きを会主に送るべし。
 1. 当日は碁盤3面を用意すべし。
 1. 此の会は永続を主とすれぱ、すべて奢侈を禁ず。毎回会主の弁ずべき食事は、下記に限る。
   菓子、酒、飯、汁、香の物、平椀1種、焼肴、煮肴、刺し身のうち1種。

このように熱中したが、あまり上達しなかった。矢野龍渓は書いている。「初段に対して6、7目を置くぐらいのところ」(了)