特別寄稿


古希を迎えて

----ポカ打ちながら、幸運のベスト8----

元アマ名人・本因坊   原田 実

平成18年、私は古希を迎えた。70歳になっても"年寄り"という気分ではないが、この齢になって古家の改修工事に伴う仮住まいへの春から夏にかけて往復2回の転居には全く疲れた。盤上では見損じやポカがますます多くなってきた。
7月の朝日アマ名人戦。前年、最終回のアマ十傑戦で十位に入賞したのが最後の花道と思っていたところ、新アマ名人戦に初回だけ招待、と言うことで参加した。早々に韓国棋院研究生出身の洪マルグンセム東京代表に、錯覚大ポカを連発して負けた。
8月のアマ本因坊戦。元高校名人・平成16年学生本因坊の坂口仁寿君(熊本代表)と対戦。珍しくポカが出ず、ベスト8へと進んだのは幸運だったが、続いて現学生本因坊の村上深君と当たった。3年前私が7回目のアマ本因坊になった時、準決勝で対戦したことがあり、その時は私が勝ったが、今回は勝手が違った。元趙治勲門下生だけあって、私のミスを確実にとがめられて負けた。
9月の世界アマ代表決定戦。3回戦で元趙治勲門下の佐藤洋平君(北海道)と当たり、またミスを的確にとがめられ負けるはずだったが、終局近く相手の見損じで、私の拾い勝ち。最後はコウになり、21子を抜くのに時間がかかり、私は時間切れ寸前だった(秒読みなし)。どうせ負け碁だったのだから時間切れもよかろうと思っていたが、そんなときに限って切れなかった。続く準々決勝は多賀文吾君にポカを連発して順当負け。
二つの棋戦でベスト8に残ったのは、そんな"タナボタ"もあっての事だった。
私が楽しみにしている「みのる会」の若者達の活躍が少なかったのは残念だったが、これも社会人として一人前になるまでの一休みだろう。中心メンバーでは若手だった太田匡彦君も、こども・若者たちの交流や大学棋戦の充実など数々の功績を残して、3月に早大を卒業する。皆それぞれ事情は異なるが、いずれまた活躍が見られるはずで、その日を楽しみに待っている。
そんな中で山下寛君(三島市・中3)が前年の中学生名人に続いて、5月にジュニア本因坊を制して2冠に。11月に金沢真君が難関のプロ入りを決めたこと。年末に太田君の率いる早大が、全日本大学選手権で5年ぶりに優勝したこと等が嬉しい大ニュースだった。

〔第52回全日本アマ本因坊戦〕 ベスト8をかけた戦い

 黒 坂口仁寿(23・熊本) vs 白 原田 実(70・招待)----白中押し勝ち