寄稿


根来さん、有難うございました 

               
目次

根来文生 前会長にお礼の言葉を 前県支部連合会副会長 鷲尾 冨士夫
お礼の言葉が見当りません 囲碁連盟常任理事・県支部連合会事務局長 山本 正
根来さんの風景 県支部連合会常任理事・鎌倉囲碁倶楽部席主 木村 憲司

日本棋院神奈川県支部連合会の会長が、根来文生さんから平山重松さんに交代しました。神奈川県アマ囲碁界は、根来さんから筆舌に尽くし難いご恩を頂きました。私達は根来さんに格別のご恩返しも出来ませんが、誌上を借りて、前会長とご縁の深かった3氏からのお礼の言葉を掲載させて戴きます。
(本誌は今回から神奈川県囲碁連盟の発行となりますが、過去は根来さんの絶大なるご支援の下に支部連合会が発行を続けてきたものです)


根来文生 前会長にお礼の言葉を----前県支部連合会副会長  鷲尾 冨士夫 

根来前会長との出会い
昭和61年、鎌倉囲碁倶楽部(現木村憲司代表)を開設して間もない早春の頃、白いワイシャツに紺の背広を着用し、黒い靴を履き立派な杖をついた福相で色白の紳士が女性を伴って現れた。この方が根来文生会長その人であり、ラフなスタイルが多い中で、非常に目立った存在であったことを今も良く覚えている。新しい方が碁打ちに見えた時には、その容姿と棋力を記憶しておくことは当然であるが、欲を言えばその方の囲碁交友関係等もある程度把握していると手割に便利なものである。従って、初めて来店された方に席亭は大変気を遣います。会長来店の頃に知り得たことは、かなり早打ちであること、中年ごろから囲碁を始められた由で棋力は私とあまり差がないとお見受けしたこと、大学で数学の教鞭をとっておられること等でした。

後に解ったことですが、数年前にNHKで紹介放映されたことがある「多くの国宝を擁する名刹根来寺」で名高い名門の根来一族でありました。現在は「Lyee」の発明者、工学博士、株式会社アイエスデー研究所の代表取締役社長として忙しい日々を送っておられます。
松本泰男さんを中心とした多くの方々のご苦労で毎年立派な神奈川囲碁年鑑が発行されておりますが、その18年度版の巻頭に、会長が現在取り組んでおられる仕事について書かれております。即ち「電子計算機のソフト課題を解決する方法論を探る研究とそれを実用化すること」とあります。その中で囲碁との関連に少し触れておられますが、不勉強の私には難しくてよくわかりません。しかし、日頃の会長の早打ち棋風から考えると、何となく感ずるものがあります。

神奈川県支部連合会、会長就任のこと
県支部連合会の元会長、故河合正憲様が急逝され、早急にその空白を避ける必要に迫られました。会長とは、囲碁文化と碁界に対するご理解、更に時間と資金が求められる要職であります。従って、会長を引き受けて頂くのは容易なことではありません。当時山本正事務局長、関内本因坊の故馬屋原常任理事、鎌倉の私の3人は、生前の河合様に格別のご指導を頂いた間柄であり、県支部連合会が作られた故人の思いを「とめたくない」との気持ちで一致しておりました。

困った私は鎌倉囲碁倶楽部の方を忘れていた事に気付き、早速何人かの方にご相談お願い申しあげたところ、根来様から「考えても良い」とのニュアンスを頂きました。前記3人は急いで根来様にお目にかかり、囲碁界の行事予定と資金の概算等を説明し、お願い申し上げました。「忙しいので会合には出席できませんが、新会長が見つかるまでつなぎとして引き受けます」とのご返事を頂戴しました。囲碁界のことは囲碁界の会費で賄うことが筋道ですが、それができない囲碁界の弱さを日頃見つめておりましたので、根来さんのお引き受けは大変有難く、今でも当時のことがつい昨日のように思い起こされます。

以来5年の永い間、会長職を続けて下さり、県支部連合会の皆様も深く感謝いたしております。又、地元の鎌倉中央支部(鎌倉囲碁倶楽部)にも過分のご支援を頂戴し、有難うございました。先日鎌倉でお目にかかった時「余り考えずに勝てる方法が見つかりましたか」と気軽にお尋ねしたところ、少し寡黙な根来様は只ニコリとされるのみでした。私よりも10歳も若く、現役で大きな目的を持っておられるのは、大変羨ましく思います。只嬉しいのは、鎌倉囲碁倶楽部へ行くと、土曜日の午後であれば熱心な碁好きの姿としての根来様にお目にかかれることであります。

今後とも末永くお運び賜りたいと思うものであります。

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お礼の言葉が見当りません----囲碁連盟常任理事・県支部連合会事務局長   山本 正

「どないするねん-----山本さん。心当たりはありますか」。平成12年最後の常任理事会の帰途、いつもの温顔に人懐こい笑みを浮かべた鷲尾冨士夫さんは、ちゃめっ気に関西弁口調を交えて私に問いかけてきた。その年の11月、日本棋院県支部連合会の初代会長河合正憲さんが亡くなり、私たちは後継会長を探さなければならなかった。

河合さんといえばこれまで『県最強戦』など新棋戦の創設をはじめ小・中・高囲碁連盟の支援、関東甲信越静大会派遣費用の負担など県囲碁界に大きな貢献を残したことで知られていた。その全てを引継げる後任の会長はそう簡単に見つかるはずがなかった。
年があけて間もなく、当時鎌倉駅前で碁席を開いていた鷲尾さんから「常連客で当倶楽部を支援していただいている根来さんにお願いしてみる。」と連絡があった。

ご案内のところだが"根来(ねごろ)"といえば、豊臣秀吉と一戦交えた紀州の名門根来衆が有名だ。やはり根来さんはその一族の末裔に当たるらしい。気品のある中にも一抹の精悍さを秘めた容貌は、ちょっと私の周りにも街のなかでも見当らない。鎌倉の碁席でお見受けした五分刈りの頭に下駄履き姿は禅僧のような雰囲気がただよい、お話されることは私たちの次元を超えておられた。

一方、ライフワークのソフトウエア開発方法で画期的な発見・発明をし、米国などで特許を得た世界的に知られる学者でもある。根来さんは「後任が決まるまでのつなぎで」ということで引き受けられたそうだが、けっきょく五年間も務めてくださった。この間、県囲碁界は言わば"ゴージャスな歓待"を受けた。支援は半端なものでなくおそらく空前絶後だろう。

『根来杯県最強戦』の打ち上げパーテイ、みなとみらいのホテルでの支部総会懇親会などの豪華さは後々まで県碁界の語り草になった。
なかでも幸運だったのは、十年ごとに回ってくる『関東甲信越静囲碁大会神奈川大会』を盛大に開催できたことだ。開催にはレセプションなど運営費に莫大な費用がかかる。もちろんそれなりに質素にはできただろうが、そこは他府県に見劣りしたくない見栄と意地がある。大竹英雄碁聖を招き、パンフレット一つにもこだわった。根来会長の支援がなければ、とうていあそこまではやれなかったはずだ。後日、他府県の役員から「うちでは神奈川のまねはできない」と言われた。

昨年、『全国小中学校団体戦』で諫山周平君を主将とする浅野中が初優勝を果たし、続く『全日本アマ本因坊戦』で瀧澤雄太さんが全国制覇した。お二人の快挙はそれぞれ根来さんが支援した『県ジュニア十傑選』、『県最強戦』で腕を磨いてきた成果でもあり、根来さんのご支援にちょっぴり応えてくれた。いま私は、根来さんから受けた恩義に何も報いることができなかったもどかしさをずっと引きずっている。同時に晩年になって鷲尾さんと根来さんご両人に巡り会えた幸せをつくづく感じている。

根来さん誠にお世話になりました心からお礼申し上げます。

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根来さんの風景---- 県支部連合会常任理事・鎌倉囲碁倶楽部席主   木村 憲司

鎌倉囲碁倶楽部は鎌倉駅前ビルの三階にある。あいにくエレベータがない。週末の土曜日と日曜日、決まって12時半前後にカランコロンと階段を登ってくる下駄の足音がする。根来さん登場の合図である。会場時間は午後の1時、だから席主は土、日に限って、少し早めに来なくてはならない。根来さんと対戦する相手も2〜3人、大体決まっていて1時前には現れる。根来さんは変な人である。

職業はコンピュータ会社の社長さん、工学博士。大学の教授もやっていたそうで、コンピュータのソフトの開発しているとのこと。1週間ほど姿が見えないと、どこかヨーロッパの学界でパネルディスカッションにお出かけ‥‥。IT産業の最先端を行く人です。でも、外見からは少しもそんな風には見えません。二分刈りの坊主頭、大きくゆったりした体格、いつも静かに微笑んでいる口もと。どこか鎌倉のお寺の住職さんみたいである。太い指でちょこんと石を摘んで、嬉しそうに第1着を打ち下ろします。そしてメッチャ早打ち。夕方までに10数局は対戦する。「何でそんなに早打ちなんですか?」「考えないで、自然に打つのが僕の碁の理想なんです。」「?‥‥‥。」ちなみに鎌倉囲碁倶楽部では、根来さんは五段。「木村さん、プロなら出来ると思うんです。第一着から必勝のポイントに打つことが。」「‥‥‥?。」何か根来さんは打てば必ず勝つことが出来るコンピュータプログラムのシステムを考えているみたいです。
根来さんは現在は独り暮らし。家には猫しか待っていません。だから夕方になると、小町通りの小料理屋さんへの夕食に出かけていきます。帰ってきて、又1局2局‥‥。根来さんは変な人である。

今まで一度も台所に立ったことがないそうです。冷蔵庫も開けたことがない。「本当ですか。」「私ダメなんです。」「理由はなんですか。」「私ダメなんです。」もうこれ以上聞かないことにしている。去年解禁になったが、根来さんは7年間、食断ちをやったそうである。好きな食べ物から1年に一つずつ断っていく。お米、マグロ、牛肉、椎茸、ゴボウ‥‥。だからお餅も食べません。お正月も玄米だけ。「何でですか。健康のためですか。」「イヤ、修行のためです。今まで散々好きなことをやってきたから、その罪滅ぼしの意味もあって‥。」「‥‥‥?。」「根来さん、もしや根来忍者の末裔ですか。」「えゝ、まぁ。」ホント、紀州根来寺で秀吉に滅ぼされ、熊野に落ちのびた根来衆の直系だそうである。そういえばあの坊主頭といい、何やら根来さんのまわりに妖しい雰囲気が漂ってくる。戦国時代根来衆は雑賀衆と並んで最強の鉄砲軍団であった。ということは、鉄砲の製造と火薬づくりなどに精通した一級の科学的知識集団だったはずである。真理の追究、独立不遜。根来さんの中にそんな血が流れていても不思議ではない。

「木村さん、今ここでこうしてあなたと話しをしていることの必然性を、私は証明することが出来ます。」「‥‥‥?。あの〜、今は何を研究されているのですか。」「心と自己存在のシステム工学的応用についてです。」「‥‥‥?。」ときどきおいでになる毎日新聞の金沢盛栄氏も、根来さんと軽く会食される。で、帰りがけに私のところに寄って「木村さん、根来さんの話は正直なところ、何回聞いても分からないです。」同感です。金沢さんに分からないのに、私に分かるはずがない。根来さんは変な人である。

根来さんが長年にわたって日本棋院神奈川県支部連合会の会長として、多大な貢献をされてきたこと、運営に関しては理事さん達にまかせて口は一切出さなかったこと、例えば『ジュニア根来杯』の設立に当たっては、「子供たちが囲碁を通じて心身の成長に役立つならば」と、喜んで資金協力をされたことなど、前の鎌倉囲碁倶楽部の席主であった鷲尾冨士夫氏からいろいろ聞いています。一昔前の理想的スポンサー像です。根来さんの碁を愛する心は、よほど深いものでしょう。

「木村さん、お正月は碁会所は休みですか。私、どうすればいいんでしょう。」「あの〜、お正月の3日間は休ませてください。お願いします。」正月あけに根来さんが、おもむろにポケットから1枚の紙を取り出します。他のお客さまを自宅に呼んでの対戦表、きれいに○×が並んでいて、根来さんの9勝3敗。根来さん、ニッコリ笑っています。最近根来さんに対する考え方が少し変わってきました。もしかして根来さんが変なのではなくて、私達が変なのではないかと。常識とか定石とか色々の決まりごとに、私達の方が振り回されているのではないかと。
"色即是空、空即是色"根来さんを見ていると、こんな言葉がチラチラと浮かんできます。

根来さん、碁盤を通して宇宙の真理と交信しているのかも知れません。

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