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祝「アマ本因坊」 瀧澤雄太さん
編集局
快挙! 瀧澤雄太さんが、アマ本因坊になった。

第53回佐川急便杯全日本アマ本因坊戦全国大会が8月24日から3日間、日本棋院で開催され、神奈川代表の瀧澤さんが見事優勝、全国アマ本因坊に輝いた。

神奈川代表の全国本因坊は、遠く昭和32年から鶴見区に在住していたあの菊地康郎さんが、13回の優勝を飾って以来である。招待選手としては藤沢在住の原田実さんも優勝を飾っているが、このお二人は全くの別格。実質瀧澤さんが神奈川県勢としては初の優勝をもたらしてくれたと言える。瀧澤さんは「優勝確率64分の1」と無欲で大会に臨んだ。先ず予選リーグは難なく突破。本戦1回戦は宇田川選手(東京)、2回戦はその菊地選手と、準々決勝戦は恩師でもある原田選手の両巨頭を連破し、準決勝戦では小野選手(滋賀)をも撃破、ついに決勝戦に躍り出た。決勝戦の相手は今年の朝日アマ名人、洪マルグンセムさん。洪さんと言えば、アマプロオープン戦などでも日本の一流プロを破って優勝するほどのつわもの。瀧澤さんは中盤過ぎまでやや劣勢であったが、ヨセに入る頃中央で高尾本因坊をして「僕より強い!」と言わしめた絶妙の捨石作戦を展開、微細な碁を我慢強く打ち進め、とうとう半目勝ちにこぎつけた。

『優勝は全く考えていなかったので、信じられません。一手一手大事に打つことだけを考えていました。決勝戦も粘り強く打つことが出来ました。普段は仕事が忙しく碁の勉強をする時間も余りありません。月に一度学生時代からの仲間たちが、私のために会を作ってくれて感謝しています。試合に出場する機会もなかなか作れず、今大会期間中も職場から呼び出しがかかるのではないかとヒヤヒヤしていました。高尾先生との記念対局、来年の桐山杯が楽しみです。』

『囲碁を始めたのは小学2年生の頃。祖母の紹介で近所のおじさんから教わりました。田舎だったので囲碁の月刊誌(囲碁倶楽部や囲碁講座など)を読みあさり、小学4年生の頃から週1回木谷門下の筒井先生の下に通いました。高校時代は陸上部に所属したため囲碁から遠ざかり、大学生から又やり始めました。』

学生時代からの実績も凄い。3年生までは学生本因坊戦や名人戦、十傑戦など準優勝4回を記録し、筆者も「これだけの準優勝は、強者の証明」と本誌に書いたことがある。4年生になって十傑戦、王座戦と立て続けに優勝、不運を払拭した。全国大会にも学生代表、県代表合わせて8回出場の経験を持ち、本因坊戦では2度にわたりベスト8に入り、十傑戦では7位にも入賞している。瀧澤さんは警視庁府中署の警察官。

『優勝するまでは騒がれることはなかったが、優勝が各紙面に載ったことで上司や同僚から声がかかるようになりました。囲碁を通じて老若男女、国籍を問わず色々の人と知り合えました。囲碁はまさに手談であって、ただ打つだけで会話したような気持ちになれます。優勝はしましたが、棋力ははっきり学生時代のほうが上と自覚していますので、運が良かったと思います。最近は若い人が頑張っていて底辺の棋力は上がっていると思いますが、反面マナーが悪くなってきているように思うので、機会があればその点を厳しく指導していきたいと思います。』

瀧澤さんは現在26歳。一見怖そうな感じがするが、しかし根は優しい好青年である。親しい人からは「雄太君、雄太君」と呼ばれ愛されている。自分よりも若い人の指導にも熱心である。しかし、ひとたび盤に向かえば、2?入りのペットボトルを飲みながら、警察官として鍛錬された太い腕で石を打ち下ろし、ぐいぐいと圧力をかけてくる。無限の可能性を感じる大物である。