「名誉アマ本因坊」 を受賞して 名誉アマ本因坊  原田 実
 全日本アマチュア本因坊決定戦が1955(昭和30)年開始以来55年を経て、今年第56回を迎えた機会に「名誉アマチュア本因坊」の称号が創設された。過去4回以上の優勝者が対象で、今回平田博則さん(84)、菊池康郎さん(81)、私(74)、三浦浩君(64)、中園清三君(59)の5人が8月28日毎日新聞社より顕彰を受けた。

 私のアマ本因坊暦は7回で、年齢は25・27・28・32・53・61・67歳の時であった。一方6年遅れで始まった朝日アマ十傑戦の優勝は4回で、28・29・50・52歳の時だった。アマ本因坊初優勝の25歳から32歳くらいまでが私の盛りで、その後30代から40代の約20年間は空白だった。その頃は本業の仕事が多忙で、たまの休日には石を握るより山歩きや家族ハイクが楽しみだった。 

 転機になったのは、東京から横浜市戸塚に転勤になり、48歳のとき藤沢市に移住したことであった。当時藤沢市役所勤務だった佐々木慶さんのお世話で、県代表クラス以上の研究会が発足した。「棋遊会」と名づけ、当時の会員は松本泰男、芹沢民雄、府川浩二、上林秀美氏をはじめ、錚々たる顔ぶれが揃い、東京・埼玉・千葉からも強豪の参加があって、盛会であった。おかげで休眠中の私も目覚めて、50から53歳にかけて3回、各21年ぶりに優勝できた。

 次の転機は私が57歳のとき、平成5年(1993年)、禁煙囲碁サロン「宇宙棋院」の開設であった。今でこそ禁煙はあたりまえだが、当時は画期的なことだった。全面禁煙で清浄な空気で格式ある碁席を、という平山重松社長の大方針に共鳴し、ここでアマ高段者の研究会を開くことにした。松本泰男さんはじめ多くのアマ強豪の協力を得て、「遊心会」を創設、現在の「遊仙会」へと続いている。18年の間には会員ややり方に変遷はあったが、棋力・勝負以上に礼儀、マナーを重んじる方針は一貫し、良い雰囲気の楽しい会が続いている。

 遊心会に中学生の頃から来ていた阿佐巧くんや宇根川万里江さんが上達して頭角を現してきたのをきっかけに、幹事でもあった中村徹さんの提唱で、独立した若者とこどものための会「みのる会」を平成9年(1997年)3月に始めた。大学生から小・中学生まで、若い才能の発露を見るのが私の最大の楽しみになった。若者たちの元気を貰ったお蔭か、その61歳の夏、アマ本因坊戦決勝戦を高野英樹君(現プロ七段)に半目勝ちの幸運に恵まれた。

 64歳になって会社の嘱託の仕事も辞めて自由の身になった。少し長く勤めすぎた感もないではないが、お蔭で会社(日立製作所)のホームページの一角を私の実戦詰碁教室に利用する便宜をはかっていただいている。主として私の周辺の実戦から採った問題を毎週2題載せるのを楽しみにしている。(http://www.hitachi.co.jp/Sp/tsumego/index.html)
更に67歳で、7回目のアマ本因坊(平岡聡君に1目半勝ち)は全く幸運の付録であった。

 2008(平成20)年には大倉喜七郎賞を受け、皆様方に盛大に祝って頂いた。誠にありがたい私の囲碁人生である。普及指導にかけてははるかに貢献大の方が大勢いらっしゃるのに、と思う。若者たちが一人前の社会人に成長して、囲碁をたしなむ豊かな人生を歩んでくれることが一番の普及であり、私の願いでもある。先般の白石勇一君の新人王などに至っては私の想定を超えた別世界の慶事である。

 今回の受賞も若者たちや日頃ご支援を頂いている皆様方のお蔭と感謝の念で一杯である。