素晴らしき囲碁仲間たち

子ども達に「碁」で遊んでもらいたい

横浜市戸塚区 平松勝利

 こども達に「碁」を教えて 10 年。べつに囲碁教室を開いているわけではない。近くの小学校の課外活動にボランティア。毎年8割近くは新しいこども達である。だから毎年、同じことの繰り返し。教える方が僅かながら進歩するのも面白い。

 クラブ名は「囲碁・将棋クラブ」であるから、将棋の面倒もみなければいけないはめになっている。みの囲い、矢倉組の形を知ってはいるが、そのプロセスはとんとわからない。こんな先生に教えてもらっているこども達は誠にもって気の毒である。それでも「町の先生」などと言ってくれるから、嬉しいやら、後ろめたいやら。今年は26名のうち碁を知らないこどもは17名である。それに比べて将棋は6名と碁の約3分の1。将棋が初段だというこどもを図々しく将棋「師範代」に仕立てる。だから町の先生でいられるのである。

 日本の囲碁・将棋人口の推定データはいろいろある。囲碁は、500、410、240万人などなど。30年前は1200万人というデータがある。近年インターネット対局を含めて600万人と言われている。将棋は近年減少傾向であり、30年前1600万人が今710,600万人。1年に1回打ったり、指したりした人の数である。仮に300万人囲碁を打っているとしよう。日本の人口を約1億2千万人として2.5%となるが、周りを見回せばこんなもんであろうか。

 こども達の話に戻そう。26名中17名碁を知らないで今年クラブに入った。しかも残り9名のうち6名はクラブで前年に覚えたのであるから,もともと3名しか知らなかったことになる。裏を返せば「囲碁を知りたい」というこども達がいるということであろう。

 私たち60代,70代は親や近所のおじさんたちが碁盤碁石で遊んでいるの見て知ったり、覚えたのがほとんどである。今や学校や囲碁教室などでしか碁を知る機会がない。これは碁が「遊び」から「習い事」になったに違いない。大人が遊んでるの見て自然に知ったのが、こども達が何かのきっかけで興味をもち,学校や囲碁教室などに習い事として通う。 これを考えるに「20から50代の囲碁人口が減った」と嘆く私たち年代への報いである。
仕事だ、そしてゴルフだ麻雀などとぬかして外で遊び,挙句のはて碁は碁会所に入り浸って打つ。自分の子や孫に,日常の場で碁で遊んでいる姿を見せることがなかった報いだ。などと言ってしまうのは考え過ぎか。いやそうともいえまい。

 しかたがない。「習い事」としてこども達が知ろうとしてクラブにくるなら「遊び」なんだと思わせてやる。これが今、学校クラブでの私のスタンスとなった。だからゲームとして楽しく面白くエキサイティングに思ってもらうことを第1にしている。あらかたのきまり事を知るのは上達した結果であり、とうてい1年では無理なことである。とにかく碁を知ってもらいたい。極端にいえば、覚えなくとも強くならなくてもよい。20代、30代になって碁に触れる機会があったとき「俺は、私は碁を知っている」と言ってもらいたい。

 私自身もそうである。田舎の農閑期、雪降る炬燵の上でおやじが近所のおじさんとぶつぶつ言いながら、丸い白と黒の石を板に置いているのを見ていたのが小学5年生のとき。見よう見まねで解ったからとそれから1年ぐらいおやじに遊んでもらった。60年ほど前。それきりである。20代の時,先輩から「碁を知っているか」と聞かれ「知っています」と答えた。でも、よく打ち始めたのは昼休みの職場や碁会所で30代半ばになってから。 そして,息子に教えようとしたが半ば拒否反応。今思えば「教えよう=習い事」であり、決して「遊び=ゲーム」ではなかった。碁仲間と自分の家で碁を打ったのは数えるほどである。後悔,反省しきり。碁は遊びである。